生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

翻訳

という仕事がしたい。

 

今日、ふとそう思いました。

 

社会人になってからというもの、初めて自分が本当にやりたいことは何なのか?という事をずっと考えてきました。おそらく生まれて初めて真剣に考えたと思います。

 

ずっと続けてきた自己啓発もそろそろ具体的な目標を定めていかないと、意味をなさなくなってきているような気がします。

毎日何とか時間を見つけて英語を勉強してはいるものの、点数の推移も横ばいになってきて、「いったい何のために勉強しているのか?」「こんなことして意味があるんだろうか?」そんな考えがよぎることもあります。

 

そんな中でも相変わらず「FRENDS」は見続けている訳ですが、最近、英語字幕と日本語音声で見ていると、所々で字幕とは全く異なる日本語で吹き替えがされている場面があることに気が付きました。

この「FRENDS」というドラマはジャンルとしてはコメディーとなっているため、構成としては観客や視聴者の笑いを誘うようなジョークや言い回しが多く使われています。

そして、その中には英語特有の表現(例えば英単語での”ダジャレ”やアメリカの背景を踏まえたジョークなど)が使われていて、そういったところというのは、そのまま英語から日本語に訳しても日本人からしてみればさっぱり分からなかったりするんですね。

でもドラマの中ではそのシーンは皆が笑うシーンなので、翻訳担当の方はそこを日本人が見ても笑えるように、訳に何かしらの工夫を凝らさなければなりません。

 

そういった箇所を日本語音声では、日本人でもクスっと笑えるような言い方で吹き替えられているので、すごいなと思わず感心してしまいました。

 

そう考えると、「翻訳」という作業はただ単に英語の意味を調べてそれを日本語に直せばいいわけではなく、その目的や場面・情景や話の流れに応じて、ニュアンスを変えてみたり、場合によっては原文の意味がほとんど残らないような異訳を求められることもあるわけで、とても奥が深い作業なんだとふと思いました。

 

 それと同時に、自分も学生時代に研究室の課題で英文の翻訳を課されていたんですが、今思えばその翻訳をする作業は何となく、「ここはこんな表現のほうがいいんじゃないか」とか、自分なりに考えて少し楽しみながらやっていたことを思い出しました。

 

今も仕事の中で、日本語を英訳することがあるんですが、その作業の時だけは面倒くさがりな自分にしては珍しく、細かい表現まで気になってしまい、いつも時間ギリギリまで夢中になっていたりします。

 

そんなことを考えていると、「翻訳」という選択肢が新たに浮かんできました。

 

さずがに「翻訳家」というと難しいと思いますが、「翻訳」という作業を仕事にするという選択肢はあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

本当にあるのか?(笑)