生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

なぜ生きてるんだろう?

なにが問われているんだろう?

入不二基義

 

「なぜ生きているんだろう?」の「なぜ」は、「なぜ学校へ行くんだろう?」「なぜ勉強するんだろう?」の「なぜ」と同じだろうか。私は違うと思う。

学校や勉強の「なぜ」は、目的や理由を聞いていて、「親に言われたから……」とか、目的や理由を言えば答えになるわけで、こういった場合の理由や目的は、「学校へ行くこと」や「勉強すること」自体ではなく、その行為とは別のところにあります。

しかし、「生きている」ことは「学校に通う」ことや「勉強する」こととは違い、それらも含めてありとあらゆることを包み込んだ一つの全体です。だから、その「生きている」こと全体の外側に、別の目的や理由を探すことなど出来ないのです。

むしろ「生きている」ことは、それ自身の「おいしさ」を、生きていることによって開発し味わうためにあるのではないか。「生きている」のは、「生きている」こと自体を深く経験するため、これがあえて言えば、「なぜ」に対する私の答えです。

 今回のテーマは、私がこの本を読んで一番話題にしたかったテーマでもあります。

「なぜ生きてるんだろう?」

これはこどもに限らず、私たち大人でも一度は思ったことがある疑問じゃないでしょうか。

 

自分も何か上手くいかなかったり、辛いことがあったりした時はいつもこの疑問が頭に浮かんでいました。それこそ大学院を出て大きな企業にさえ入れば、そんな事を考えることもなく安泰な日々が訪れるものだと信じていた自分としては、現実の厳しさを思い知り、転職をする前は毎日のようにこの疑問が浮かんでいました。

「こんなことをしていて、意味があるんだろうか?」

「こんな辛い思いをしてまで、生きる必要があるんだろうか?」

 

 

結局、転職をした後の今になっても、この疑問に対する自分の答えは見つかっていませんでしたが、もしかしたら「なぜ生きているのか?」ということに理由や答えなんてないのかもしれません。

 

日本は自殺者が多いことでも知られていますが、最近でもテレビやネットで自殺する方のニュースを見たりします。

そういった方もこの疑問に同じくぶち当たって、その答えが見つからないまま現実に絶望してしまったのかもしれません。

 

でもそういった人たちがいる一方で、自分たちで生きるための希望ややりたいことを見つけて楽しそうに生きている人たちもいます。

趣味や仕事に生きがいややりがいを感じて没頭する人、自分でやりたいことを見つけて起業する人、自分の得意なことで誰よりも上を目指そうとする人、愛する人と少しでも一緒に過ごそうとする人……。

 

生きていれば上手くいかない事やしんどい事もありますけど、逆に生きているからこその楽しさだったり嬉しさや喜びもあります。

答えがないんだったら、いっそのことそういった経験を通して「生きている」ことの意味や答えを自分で「創っていく」。

 

そんな考え方もアリなんじゃないでしょうか。