生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

強者の流儀2

自分はいわゆる「八方美人」と言われる人間だ。

 

人によって意見はコロコロ変えるし、答えを求められても無難な回答しかしないし、自分の考えは二の次でとにかく相手の意見に合わせる…

 

朝倉選手はそうした「八方美人」は自分がぶれてしまっているので、強者の流儀に反すると述べている。

 

 最近の若い人たちを見ていると、軸がない、と思うことが多々ありますね。多数派の意見に流されがちと言うか。

 自分で判断するっていうことをもっと大切にしないといけないと思います。

(中略)

 周りの目を気にして言いたいことが言えないということは、自由じゃないということです。

 そして、往々にして自分がやりたいことができていないでしょうから、自分がぶれてしまっているということでもあると思います。

 なぜ人の目を気にしてしまうかというと、八方美人だからです。

 八方美人だから、あらゆる人から嫌われたくないということで、その場に合わせた態度を取ってしまい、結果的に一貫していない行動や言動を取ったりすることになってしまう。

 僕は、八方美人になりたくない、と思っています。

 八方美人で自分の軸を貫くということはできないからです。

 

世界は様々な考えや価値観を持つ人間の集合体であり、その全員から賛成される考え方や答えというものは恐らく存在しない。

”黒”が好きな人がいれば”白”が好きな人もいるし、石橋を”叩いて”渡る人もいれば”走って”渡る人だっている…

 

「他人に嫌われたくない」

そう思うのは悪いことではない。

 

自分もいつからか気付いた時には、異常な程に他人の目ばかり気にするようになっていた。

自分でも何がきっかけでそんな性格になったのかは分からない。

 

結局この歳まで八方美人を続けて得られたのは、「八方美人になっても、何一つ良いことはない」という結論だけだった。

 

反町隆史じゃないが、”言いたいことも言えない”で”POISON”は溜まる一方だし、苦手に感じる人から親近感を持たれて余計に疲れるし、自分が傷付いて損はするし…

 

何より自分の考えや信念、価値観がどんどん薄っぺらくなって自分を見失いそうになる。

 

最近、何だか「自分」という存在が何なのかよく分からなくなっていた事もあって、この言葉はグサリとくるものがある..