生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

人類とウイルスの免疫戦争7

 これまでの政府の対応や専門家の発言、メディアの報道を振り返り、筆者は今回のコロナ禍で本当に私たちを苦しめているのは、ウイルスではなく

 

「メディアによる”インフォデミック”と”恐怖症”」

 

だと述べている。

 

 かつては”未知の存在”だった新型コロナウイルスも、最近では現代科学技術を駆使した解析によってその特性が明らかになってきており、感染経路も主に”モノ”を介して感染することから、人と人との距離を空ける意味が少ないことが明らかになってきているという。

 臨床的にも無症状の人の多くには問題はなく、自粛を延長する必要はないという。

 

 しかし、未だに国やメディアなどは”3密回避”や”営業自粛”を必要以上に続けている。 

 

 確かに思い返してみれば、トイレットペーパーやマスクが品切れになったり、なぜかイソジンまで品切れになったりと、ウイルスとは違うところで色んな騒動があった。

 

 特にトイレットペーパーが突如として至る所で品切れになったのはさすがにきつかった…

 

 今だに当時、トイレットペーパー1巻で2カ月以上を耐えしのいだのは奇跡だったと思う。

 どうしのいだのかは、今となっては思い出したくもないけど…

 

 こういった騒動もメディアに煽られた国民が恐怖心によって正常な判断が出来ず過剰反応した結果であり、不確かな情報の暴走、すなわち”インフォデミック”こそが今回のコロナ騒動の本質だという。

 

 本章の最後で筆者は”日本の死生観”に触れながら、今回のコロナウイルス騒動の「失敗の本質」についてこうまとめている。

 

 普段、日本では死は病院の中に封印され、私たちの目に触れないようになっています。インフルエンザや交通事故による多くの死は日常と隔離された「見えにくい死」です。

 しかし、阪神淡路大震災や東日本大震災などの大災害で一度に多数の死者が出ると、突如として死が身近に可視化されます。今回もメディアによるインフォデミックが、新型コロナによる少ない感染者数を海外の悲惨な死者数で上書きし、同様の惨状が日本でもすぐ起こるような錯覚を国民に植えつけていきました。この恐怖心が冷静な判断を奪い、感染力が少し強い風邪のウイルスが「凶暴な殺人ウイルス」に格上げされて全国民を震え上がらせました。

 この「コロナ恐怖症」こそが、新型コロナウイルス騒動の最大の元凶であり「失敗の本質」です。

 

 今も世界では新型コロナウイルスを発端とした様々な問題が起きている。

 

 アメリカのアジア系住民へのヘイトクライム、ワクチン先行接種への非難、最近では水泳の池江璃花子選手への匿名による五輪辞退要求投稿などもあった。

 

 もはや新型コロナウイルスというよりも、コロナへの恐怖心から人が人を苦しめている問題の方が多いように感じる。

 

 ネット社会の溢れかえる情報の中で、「コロナ恐怖症」から抜け出すためには失敗の本質を見つめ直し、1人1人が解決に向けて正しい行動をしていくための知識を身につけようとすることが大切だと思う。

 

 少しでも早く「失われた日常」を取り戻せますように。