生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

他の人より 少し繊細な ピーポー4

 「HSPであることを、誰に話すべきでしょうか?」

 

 

 これは筆者がHSPに関する講演をする際に、よく参加者から受ける質問だという。

 

 

 筆者は「自分がHSPである」と伝えることよりも、大切なことがあると述べている。

 

 私は自分を表現するときに、「敏感すぎる (HSP) 」という言葉をめったに使いません。それよりも、「自分が何を必要としているのか」「何に秀でているのか」「何がうまくできないのか」を伝えます。

 

 大切なのは、ほかの人たちに「私に特別な才能と制約があるのはHSPであるからだ」と知ってもらうことではなく、私自身がHSPのことを理解し、自分と同じような人がいることを知っておくことなのです。

 それによって、私は自分自身を受け入れる事ができ、私のことを奇妙に思う人たちのなかに飛び込んでいく勇気を持てるのです。

 

 確かに周りの人たちにHSPについて理解してもらうことが出来れば、普段の生活や仕事もしやすくなる面があるかもしれない。

 

 しかしその結果というのは、それを ”受け取る人たちがどういう人か” ということによって大きく左右されるのではないだろうか。

 

 HSPであることにある程度の理解を示してくれて、共感してくれる人たちであれば、気にかけてくれるようになるかもしれない。

 しかし、場合によっては真剣に受け止めてもらえず、逆に ”病的な人” や ”変な人” だと思われてしまって、余計に肩身の狭い思いをする可能性だってある。

 

 きっとよりよく生きるために大切なのは、まず自分が「HSPなんだ」ということを受け止め、そして自分自身がこのHSPという特性についてより理解を深めていくこと。

 

 HSPのことを知っていくうちに、自分がずっと感じていた違和感や苦痛の原因が、まるで点と点が線で繋がっていくようにくっきりと見えてくる。

 

 あの時感じた辛さや苦痛が襲ってきたとしても、「あ、今他の人よりも敏感になってるな」とか「今は相手の気持ちを察し過ぎているな」と自分自身を客観視できるようになる。

 

 なによりHSPについて知ったことで一番救われたのは、自分が「1人じゃない」っていう事実に気付くことができたってこと。

 

 5人に1人の割合ってことは、10人いたらもう1人HSPの人がいるし、日本中だけでも自分と同じ感覚を持っている人が沢山いるってこと。

 

 

 謎の大火事から好きな子を助け出す妄想で、授業が上の空だった小学校時代も…

 修学旅行の夜、友達のヒソヒソ声で音フェチに覚醒した中学時代も…

 教室で1人で食べる昼食の時間が苦痛でトイレに逃げ込んだ高校時代も…

 アパートの隣の人の足音が気になって寝付けなくなるのも…

 洗濯機の中で揺らめく衣服を脱水になるまで眺めるのも…

 雨上がりにベランダで夜風と川の音に癒されるのも…

 

 

 

 何一つおかしくなんてない。

 

 全部ひっくるめてHSPの自分なんだって思える。

 

 

 誤解しないで欲しいのは、決して「HSPだから特別だ」とか「HSPの人に気を遣え」と書きたかった訳ではない。

 そもそもHSPと言っても別に検査で「陽性」とかなるわけじゃないから ”自称 ”になってしまうし、目に見えないから気の遣いようもないわけで。

 

 

 ただこの記事で伝えたかったのは、

 

 

 この世には「心が敏感な人」と「心がタフな人」の両方が存在する。

 そしてその両方にそれぞれ良いところがあって、得手不得手もある

 

 

ってこと。

 

 

 

 たとえあなたがどちらのタイプだとしても…

  

 

 

 そんな事実を知って、少しでも肩の荷が下りてくれれば幸いだしん。