生きてはいない、ただ死んでないだけ

ただ「死んでない」だけの誰得なブログ

酸いも甘いも

今から2ヵ月くらい前の話になりますが、コロナに感染した。

 

急遽、仕事で転勤することが決まり勤務先が変わった矢先の出来事だった。

 

前の職場は確かに田舎で車通勤だったし、それに比べるとかなり都会になったので人口も多く電車通勤になったっていうのもあるけど、にしてもこうもあっさりコロナにかかるとは思いませんでした。

 

コロナという言葉を耳にして早2年以上が経ち、そのワードに何の珍しさも危機感も感じなくなりつつある中で、「自分だけは大丈夫なんじゃないか」なんて思っていたが、それは単なる田舎者の自惚れに過ぎなかった事を思い知ることとなった。

 

自宅で夜中に若干喉の痛みを感じたものの、つけっぱなしだったクーラーのせいだと思いそのまま寝たら早朝には息苦しさで目が覚めた。

 

明らかに状態がおかしいので熱を測ってみると40℃近い発熱。

そこでこれはもう完全にコロナだと確信した。

もちろん抗原検査、病院での検査ともに「陽性」。

 

冷凍庫に入ってた保冷剤を枕代わりにしたけど、熱は下がる気配がなく溶けては冷やし、溶けては冷やしの繰返し。

 

2日くらいしてようやく熱は下がったものの、そこから全身痛、頭痛、咳、倦怠感、味覚、嗅覚異常のフルコースが襲ってきた。

 

中でも1番辛かったのは、味覚と嗅覚がなくなったこと。

 

「苦い」「辛い」「酸っぱい」「しょっぱい」「甘い」...何もない。

「無味」とも違う...

「味がない」ということも感じる事が出来ない、ただの「無」。

 

そこで気付いたのは「美味しい」と感じるためには「苦い」とか「不味い」と感じる事も必要だったんだという事。

 

コーヒーは水みたいだし、なにを食べても「酸いも甘いも」感じなくて、文字通り食事が ”味気ない”ものになって食欲がまったく湧かず、自宅療養中はほとんど口にする事ができなかった。

 

自宅療養中は何もできないということもあって、そんな時は性格上余計なことまで考えてしまう。

 

痛み、不満、悲しみ、苦しみ...

 

最近のご時世ではそんな「苦味」を感じなくて済むように色んな事を禁止したり制限している。

近年の時代背景や社会情勢を考えれば、そういった動きが起きるのはやはり自然な流れなんだろう。

 

だけどそれも過度になりすぎると、楽しみ、喜び、感動、そんな「旨味」も味わえなくなってしまうような気がする。

 

 

「天ぷら」より「コンプラ」の方が口にする事が多くなってきた今日この頃。

 

最近はテレビもつまらなくなってきたし、タバコも中々吸えないし、人同士が密接に関わったり話したりする事も難しくなってきている。

 

でもこっちの ”味気なさ” はコロナだけのせいではないような気がします。